中津はいつからカレーの町といわれるようになったのだろうか
中津は昔からカレーのまち。多くの人がそういうし、現在、過去と中津の町にカレーは存在していた、そしてこれからも存在するだろう。でもなんで中津がカレーのまちと言われるようになったのか、そこから調べてみました。
大阪のスパイスを語る上では避けれない「カンテ・グランデ」
中津には1972年に創業したカンテ・グランデがあります。カンテの功績は、大阪でチャイを広めた老舗のカフェであるということ。そしてもう1つが、今でいうスパイスカレーを広めたことも重要だと思います。

最近スパイスカレーやスープカレーがだいぶ知られてきましたが、今までは、カレーというと今のようなスパイスカレーやスープカレーはまだメジャーではなく、欧風カレーが有名でっただろうと思います。

21世紀になってカレーもいろんなカレーが食べられるようになりました
Wikiからのほぼほぼパクリで恐縮ですが、日本で初めてカレーを紹介したのはなんと、1万円札にもなっている福沢諭吉。その福沢諭吉は自書の「増訂華英通語」(1860年、万延元年)で、「Curry コルリ」と紹介している。 そんなカレーですが、カレーと言えば「インド人もびっくり」のとおりインド生まれます。そのカレーがとろっとしたスタイルで日本に普及したのは、インドを支配していたのは大英帝国(イギリス)でそのイギリスと日英同盟を結んでいたので、イギリスの海軍スタイルのカレーが日本にも取り入れられ普及したと思います。
カレーのとろみは海上でシャバシャバならこぼれるからというのとインド料理につきものの「チャツネ」がカレーと同時に伝わっていないなど、イギリス経由だというのも、うなづけます。
そんなカレーの歴史はここでは置いておいて、中津のカレー史に戻ります。
もう1軒忘れてはならない伝説の「スパイス飯店」
中津のカレーブームの火付け役は中津にあった「スパイス飯店」の影響が大大大だと思います。お店のテントに手形が印刷されていて、日本カレーとタイカレーを選んぶことができました。
スパイス飯店のインパクトが中津=カレーのイメージを浸透したと思います。

SOMAをはじめとするスパイスカレー店の進出
2010年からのこの10年、中津にはたくさんのカレー屋さんがOPEN。その特徴はどの店もいわゆる欧風カレーのお店なく、スパイスカレーのお店であることです。
SOMAもそうですし、今は九条に行き(今は閉店しましたが)犬PPカレーや、テケレッツの場所で昼のみ営業の「梵平」、ダイヤモンドビリヤニなんかも、ビリヤニというジャンルですが、スパイスカレーに近い分野、同じオーナーが経営する「月と太陽」もネパール料理ですが、 スパイスカレーに近い分野。家庭料理を提供していた「マルセ」も今はカレーのお店になりました。さらにThink食堂のカオマンガイなんかも香辛料をふんだんにつかった「エスニック料理」というジャンルならつながってきます。このように中津は今カレーだけでなく、スパイス料理のまちとして人々を寄せ付ける魅力を持っています。
さてやっとSOMAのお話
そんな中津界隈のスパイスカレーの話ですが、現在はSOMAが中津で営業中です。それにしてもSOMAのカレーはおいしいのです。私は文章力がないので表現できませんが、とにかく一度食べると私が表現できないなにかをわかっていただけると思います。

知り合いで辛いだけのカレーはダメというのですが、SOMAのカレーは食べれれるという人もいます。それくらい「普通」と違うと思っていただければそれでよいと思います。

SOMAのカレーは、インディアカ米でなく、玄米です。5辛までが無料です。
2020年のミシュランのミシュランビブグルマン受賞
SOMAが2020年のミシュランガイドにカレー店でビブグルマンに選ばれました。関西では、ガネーシュn、金剛石、コロンビア8、虹の仏、SOMA、橋本屋、カリープラントが選ばれたそうで、受賞おめでとうございますとともに、今後ますます行列ができそうです。
お店情報
店名:SOMA
住所: 〒531-0071 大阪府大阪市北区中津3丁目18−2
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